八月二十一日(火)の日記

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お盆に一泊だけ帰省した。
出張先に戻る飛行機に乗るため空港に向かう。地元の駅の改札をくぐり、構内の地域文化交流コーナーに飾ってある何枚かの油彩画を横目で眺めながら通り過ぎようとしたとき、そのうちの一枚の作品と、額の下に貼ってあるラベルの文字列が目に飛び込んできた。作品名の下に高校の同級生の名前。
私はそれを見ないように顔を伏せて構内を横切った。


ホームに続く階段を登ると小さな人だかりができていた。ここは田舎の駅なので、お盆にも関わらず空港行きの電車を待つ人はとても少ない。だから人だかりとは言っても四、五人くらいのものだ。
すこし離れた場所から彼らの目線の先を覗き込むと、線路の上で小ぶりの鷹が死んでいた。それをJR職員の壮年男性が長いマジックハンドを伸ばして何度も何度も掴もうとしている。

小ぶりとはいえ鷹は鷹、マジックハンドの先はつるつる滑って作業は難航している様子だ。電車の到着予定時刻はちゃくちゃくと近づいている。人々は一様に不安そうな顔だ。
私も不安だった。電車が止まって安全確認ということになれば飛行機に乗り遅れてしまうかもしれない。それに一度死んでいるとはいえ、気の毒な鷹がさらに電車にまで轢かれるのを目撃したくはなかった。私は線路から目を逸らす。

ふと、一ヶ月前に一人で秋田に旅行したときのことを思い出した。
あのときの私は職もなく、全てがかみ合わない漠然としたいらだちの中、借りている部屋の退去も月末に迫っていて、正直かなり参っていた。季節は無駄に夏で毎日暑いし、神経が腐り落ちそうだった。
そんな気持ちで向かった東北だったけど、そこにはまだ夏すら来ていなかった。
ひんやりとした雨の中、誰もいない平日のホテルの露天風呂で両手両足を伸ばしてくつろいだ。郊外の図書館まで足を伸ばして林の中を散策した。すべてが新鮮だった。
私はどうやら自分で思っているよりも、新しいことをしたり新しいものを見ることが好きらしかった。そういうものが、すでに自分の中にあるものとぶつかる瞬間、その組み合わせの妙が嬉しい。
「よし、これからは目に入ったものなんでも、全部見よう」
そう決心して、空も地面もビルも木も居酒屋の前に打ち捨てられた生ゴミも、前後左右天地何もかもを目に焼き付けるようにしながら歩いた。


新しい生活が始まって、そのときの気持ちをすっかり忘れかけていた。私は腹をくくって鷹の行く末を見届けることにした。
鷹は相変わらず線路のレールとレールの間に蹲るように横たわっている。
気絶しているだけかもしれないし、動けないほど衰弱しているだけかもしれない。だけどなぜかわかる。確実に死んでいる。

さっき見ないようにした絵のことだって、私はちゃんと思い出した。
作者は当時美術部に入っていた女の子で、詳細は省くが私たちはとても仲が悪かった。向こうは何かにつけて嫌味を言って突っかかってきたし、私は私でそいつのことを腹の底から小馬鹿にしていて、しかもその態度を隠さなかった。

向こうはなかなかの美人で友達も多く、あらゆることについてセンスが良かった。いっぽうこっちはいつも奇妙に浮いているうえにレズ疑惑(疑惑ではないが)まであるわけで、二者間の諍いが客観的にどう見えていたのかはわからない。だけど私たちの間にあった、お互いに対する敵意はおそらくイーブンで、ある意味フェアな関係だった。

技法や良し悪しについてはわからないけど彼女の絵は、それが人物であっても静物であっても、まるで控えめで物静かで優しい人が描いたような感じのする絵だった。
文化祭の展示でそれを見た私は「あんなやつがあんな絵、いい子ぶってとんでもない嘘つきやんか」とムカムカした。
駅に展示してあった絵は間違いなく同じ人のもので、数秒しか見てないけどたぶん相変わらずあの調子で暗くて優しい絵だった。
その控えめな構図、子どもの頃から美術をずっと続けていること、地元の小さな駅に寄贈するために描かれた絵、よくわからん気持ちのまま駅のホームに突っ立っとる私は、そういえばあいつのことなんにも知らないな。
当時すさまじく嫌なやつだったことに変わりはないけど、嘘つきだなんて思って悪かったよ。


電車到着まであと二分、というところで駅員さんが鯨漁の銛みたいに狙いを定めたマジックハンドがぐいっと鷹の片翼を掴んだ。
翼が蛇腹みたいに段階を踏んで広がる。首が変な方向に折れているように見える。すごくショッキングだ。
私は鷹の死体が、駅員さんの抱えるマジックハンドの先端にぶら下がって、空中を優雅に横切るのをじっと見つめた。
それはあらかじめ口を広げてあった大判のゴミ袋の中にそっと置かれた。

ホッと一息ついた様子の駅員さんは周りをキョロキョロ見渡して私たち全員に(お騒がせしました、どうも)とでも言うようにぺこりぺこりとお辞儀をした。
そこで彼を讃える大きな拍手が、と言いたいところだけどそういう市民性ではない。寒村で生まれ育った私たちはひどく内気なのだ。

そのかわり私たち乗客は揃って駅員さんに(いえいえとんでもない。ご苦労様です)という気持ちを込めてぺこりとお辞儀を返した。小さい男の子もいたけど、父親の真似をして彼もそうした。
ビニール袋にすっぽりと収まることで急激に生々しさを失った鷹は、エレベーターに乗せられ運ばれていった。
ほんのしばらく間をあけて、電車到着のメロディが鳴りひびき、ホームに特急列車が滑り込んだ。


私はいつも公共交通機関の中では本を読んだりインターネットをやったりメモ帳に何かを書きつけたりしているんだけど、その日はなんとなく電車の窓の外、夕方から夜になる過程のピンク色の空気をなるべく長い時間目の中に映しておいた。

 

八月二日(木)の日記2

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先日、生まれて初めて自分でチケットを取ってライブを観に行った。ひとりで行った。この歳になってはじめて、毎日朝から晩まで聴いてしまうほど好きなバンドができたからだった。
控えめに言って最高の体験だった。人間の女って、憧れの人を目の前にすると本当に胸の前のところで手を組むんだね。びっくりした。


‪すべての曲が終わったあと、アンコールに応えて再登場したギターボーカルがボソボソとした声で‬
‪「災害でたくさんの人がつらい目にあって、悲しいニュースも多くて...わたしは音楽でみんなにすこしでも楽しくなってほしいと...思ってます」‬
と言ってアンコール曲を演奏した。

二十年以上も音楽をやっているとは思えないほどつっかえつっかえのMCで彼女は、高校の文化祭のバンドステージで学年で二番目にモテる男の子が言うみたいなセリフでそう言った。
だけど心からそう思っているのがわかったし、死ぬほどシビれた。
そのとき自分が胸に抱えていた不安まで減った気がした。


数年前まで彼女は、武道館でライブをやるような人気バンドのギターボーカルをやっていたんだけど、自ら脱退してバンドは解散、それではじめたのがこのバンド、という経緯がある。高校生当時の私も当時の交際相手に教わって知ったそのバンドが好きで、今でも何曲もそらで歌えるくらいだ。
当時の伝説的な人気からするとそこはたぶん信じられないくらい小さなライブハウスだった。

だけど私は、今の彼女のつくる曲や書く歌詞やギターの音のほうがずっとずっと好きだと思った。私は音楽については完全にシロウトだけど何がやりたいのかっていうのが痛いほど伝わってくる。

前のバンドをもうしばらく続けていたら、何十倍、何百倍ものたくさんの人を感動させることができたんだろうと思う。解散を惜しむ声が今もネット上に散見される。
だけど私や、たぶんそのとき並んで立ってライブを観ていた人たちにとっては彼女は、彼女こそがスーパースターで、それで良かった。


曲をやっているときの彼女はMCの棒読み口調が嘘みたいに、クールで自由自在だ。
誰をどれだけ落胆させたとしても、これしかないと確信した人間はそのことを全力でやるのが本当に良いんだと、強く思った。

 

八月二日(木)の日記

‪*‬
‪さて私ですが、なんやかんやあって今は仕事で地方に来ています。‬
旅行に引越し、再就労からの遠征とこう立て続けでは、まともな生活というものがなかなか立てられません。
ですが、あとあと思い出したときにこの夏が、こうやっていくつものステージに分かれているのを想像するのは悪い気分じゃない。

働くのは楽しいです。生活基盤のない場所で働くことに集中していると、この数ヶ月でぼやけきった脳みそが輪郭をソリッドにしていくような気がします。
さいわいタイトなスケジュールではないので、わりと好きなことができます。
普段通っているジムの加盟店が、詰めているホテルの近くにあるのでそこで走ったり、喫茶店で本を読んだり、ビールかハイボールを飲んだり書き物をして過ごそうと思っています。どこに行っても東京にいるときと同じですね。


今日は今から駅前で見かけたビアホールに入り、氷点下のビールを大きなグラスに一杯だけ飲もうと思います。喉の感覚がヘンになるくらい冷たいビールを。ビールは冷たければ冷たいほど良い。
メニューにあればポテトフライを頼みます。できればハニーマスタードが添えてあったら良いなと思います。

ビールを飲み終わってホテルに帰ったらすぐに湯舟にお湯をためます。部屋にもお風呂場にも灯りは点けない、暗いのが好きだから。
旅先で荷物は増やさないのが鉄則なのですが、着いた日に百貨店でバスローブを買いました。深い紺色で分厚いパイル地で、すぐに気に入りました。
お風呂上がり、髪も濡れたままでそれを羽織ってホテルのひじ掛け椅子に座って目をつぶると、ここがどこだかわからなくなる。


限られた時間と空間の中で積み木を積むようにして過ごしていると、すごく開放的な気持ちになる。生活をルーティンに落とすことは、何の制約も設けない日々よりもずっと私を自由な気分にさせる。
生活習慣を自分の意思で決めるというのはかなり高次の自由であるように思います。

日々の考えについて、なににつけ目で見ることができて手に取れる形にしてみるのが好きです。それはもしかしたら桁落ちってやつになってしまうのかもしれないけど。
それでも、自分だけでなく他人にも見える形にすることに意味はあると思います。

七月九日(月)の日記

‪*‬
‪誤解をおそれずに言うと、自分の書いた文章を不特定多数の人に読んでもらっているときの私は、読んでくれている人に対して匿名性ではあるけれどもかぎりなく愛情に近いものを感じているように思います。‬


‪しばらく前にTwitterで『コンプレックスや負の感情だけがクリエイションの原動力になり得る』‬みたいな話題がちょっとだけ盛り上がっていたときがあって、私はそれに対してかなり違和感があった。
‪だけどその違和感の芯にあるものについてうまく言い表せなくって、ずっとそのことが頭の隅にありました。‬


私にはコンプレックスや負の感情がないかっていうと、もちろん人並み以上にある。めちゃくちゃあります。
だけどそれらを抱えているということと、それを燃料にして走るということの間には大きな隔たりがある。
愛してるって口に出して言うことと、実際に愛していることが全然違うのと同じです。
コンプレックスで書いたものを人に読ませるのは——ものすごくキツい言い方をしますが——愛してもいないのに愛しているって言うことだって、私は思います。

もちろん愛してないのに愛してるって言ってしまうことは人間にとってごくありふれたことです。罪のないことで、私自身そうした経験もされた経験もある。だからそういう関係の中にも胸を締め付けるような切実さや優しさや親密さが多分に含まれていることを知っているし、その全部が嘘だなんて、口が裂けても言えないです。
書き物もそれと同じで、コンプレックスや恨みを原動力にした素晴らしい作品はきっと世の中にたくさんあると思います。

だけど私は愛することがしたい。人間を直接愛することはすごく難しいし今生ではおそらく無理だと思うけど、文章を通してならひょっとすると、できるんじゃないかって気がするんです。


‪このブログを読んでくれている人は、人生の貴重な時間を使って、私の書いた日記や小説を読んでくれているわけです。デジタルな楽しみの多い時代に、わざわざテキストを読みにアクセスしてくれている。‬
‪何でもできる、恋人と会うことだってできる余暇に、時間と気持ちを使って私の書いた文章を読んでくれている。‬
‪私はそのことにめちゃくちゃ感謝しているんです。私を信じてくれてありがとうって思ってる。‬

‪だから私は自分のために書いてないです。コンプレックスを解消したり恨みをぶつけるために小説を書いたことは一度もないです。‬
‪小説以外に関しては何度も何度もある。そしてそのことはものすごく自分にとって、傷になっている。二度とそんなことをしたくないと思う。‬


私はスマートな人間でも良い人間でもない。今のところ手に取れる実績もない。だけどこれから先きっと、もっともっと良いものを書くし、あなたたちの信頼に応えるために最大限の努力をするつもりです。

七月七日(土)の日記

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つい先週『メッセージ』という映画をレンタルして自宅で観た。ちょうど一年ほど前に劇場公開されたSF映画だ。
この映画の中に、言語相対性仮説という考え方が出てくる。これは『人の思考様式はその人が使う母語により決定、もしくは影響を受ける』という仮説だ。
ある特定の言語を習得していくうちに、その言語が人間の認識を劇的に変えていく、というのがストーリーの骨子だ。
滞在中のホテルの部屋で、ノートパソコンのキーボードを叩いて日本語を打ち込みながら、この映画のことを思い出していた。


秋田に来て今日で四日目、その間同じホテルの同じ部屋に連泊している。
二日目の朝、出掛けるための身支度を終えようとしているとき、一瞬思考が停止した。ベッドサイドテーブルの上に、腕時計と眼鏡と指輪とiPodとハンカチが、端をきっちり揃えて整然と並べられている。

もちろん前日の夜の私がそうしたんだけど、まさか自分がしたことだとは、しばらくの間信じられなかった。
東京の自宅では、それらのアイテムは帰宅と同時に玄関の靴箱の上にゴチャッとまとめて置かれ、そのまま翌朝まで放置されているのが日常の風景だ。

すっかり忘れていたけど、それは昔私がホテル暮らしをしていた頃についた習慣だった。
当時からもう四年以上の月日が経っているのに私という人間は今でも、当時のホテルでの暮らしに最適化されてしまっているみたいだ。


仕事の行きがかり上、二十代の半ばから終わりにかけての期間のほとんどを私は、会社指定のホテルで暮らした。
お湯が沸かせる程度の簡素なキッチンがついたシングルベッドルームに持ち込めるものはごくわずかだ。クローゼットに収まる範囲の服と靴、グルーミング用品。化粧品にノートパソコンに本が数冊。
向かいの部屋からは同じく長期滞在の、国籍不明の宿泊客がガムランかなにかを奏でる音が聴こえていた。

もちろん最初のうちはそんな生活が嫌で嫌でたまらなかった。
当時の私は、自分の気に入っている服や靴や本や雑貨を身のまわりに置いておくのがとても好きだったから、毎日ひどく気がふさいでいた。

だけど一年ほどそうやって暮らしているうちに少しずつその状態に慣れていった。
むしろたまの連休に自宅に戻ると、気楽さと同時に言いようのない居心地の悪さを感じた。物が多くて気持ち悪い、そう思った。

気に入ったものをほんの少しだけ持っていられればそれでいい。私はそう考えるようになっていた。そのこと自体はひとつの真っ当な考え方だから別に問題じゃない。
問題は、当時の私が無意識にせよきっとこういうふうに考えていたってことだ。
『ホテルに身体を合わせて、仕事に人生を合わせて、コンパクトに暮らすのが平穏だ』
それはたぶんすごく哀しいことだった。


さきほど何気なく「最適化」という言葉を使った。だけどそれの対義語ってそういえば知らないなと思い、今しがた調べてみた。検索結果を何件か覗いているうちに「イノベーション」という言葉にかち当たった。
限られた選択肢の中から最適なものを選ぶのではなく、選択肢それ自体を創造すること。
なんとなく自分の中で点と点が繋がった気がした。

 

ホテルにいると心が深く落ち着く。いつまでもここに居続けたくなってしまう。
限られた持ち物を整然と並べて、この狭くて親密な空間を保つことだけに心を使いたくなる。
だけど私にとってホテル暮らしというのは、たぶん昔の恋人みたいなものだ。深くわかり合っていて、すごく優しくて、でも今の恋人じゃない。今の恋人じゃないから優しいんだと思う。


二、三日のうちに東京に帰ろうと思う。

七月五日(木)の日記

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用もないのに秋田に来ていて、ホテルでこれを書いている。‪

どうしてずっと雨が降っているんだろう?と不思議に思っていたけど、梅雨あけの東京から梅雨前線を追いかけて来てしまったみたいだ。‬

 

行き先は、用がなければないほど、意外であればあるほど良かった。うまく説明できないけど、自分にとって完全に想定外の土地に来てみたかった。
今やらなきゃいけないこともやりたいことも、ノートパソコンと通信環境さえあれば全てクリアできる。だからそうしない理由がなかった。


もうじき三十三歳になろうとしているのに、思えば私には自分の意思で旅行した経験が一度もなかった。
社会人になってからの旅行の思い出といえば、出張のついでに観光地までぶらっと足をのばすか、旅好きの交際相手を喜ばせるために同伴したことが数回あるくらいだ。もちろんそれらは楽しい思い出だけど、自分の意思じゃない。
だからといってべつに旅行が嫌いというわけではない。ただ単純に、出掛けるよりも自宅の椅子に座って本を読んだり、なにかを書きつけたりするのが好きなだけだ。

だからこそ今この機を逃せば、ふと思い立って旅に出るなんていうシュチュエーションは当分の間やってこないような気がした。
この気持ちが新鮮なうちにすみやかに行動開始する必要がある。

週末が返却期限のレンタルビデオビデオ屋に返して、コインランドリーで洗濯物を乾燥させている間に、銀行のATMでとりあえず二十万円引き出す。近所の薬局で日焼け止めクリームと化粧水と旅行用のシャンプーを買う。洗濯物を回収して部屋に戻り、鞄にノートパソコンとkindleと紙とペンと洗面道具と化粧ポーチを詰め込む。
ここでちょっとだけパニックになって卵をいくつか茹でた。これも持っていく。
どれくらいの期間滞在することになるかわからないので下着や服は適当に詰めた。足りなくなったら現地で調達するなり洗濯するなりすれば良い。

荷物を抱えて駅までの道を歩くと額に汗がにじんだ。午後三時過ぎ、この時間に表をぶらぶらしているのは親子連れか老人ばかりだ。
田舎でも都会でもジイさん達は、どうして揃いも揃ってアポロキャップをかぶっているんだろう。

最寄り駅から大宮まで出て、しばらくブラブラしてから駅に戻って東北行きの切符を買った。
新幹線に乗って、秋田に向かうことにする。秋田には一度も行ったことがないし、何があるのかもよく知らないから。
新幹線に乗るときの習慣として半自動的に、崎陽軒シウマイ弁当とサッポロ黒ラベルの三五〇ml缶を二本買った。

 

指定席のシートに座るとすぐに新幹線がホームを滑り出る。 なにが起こっているのか、自分でもよくわからないまま缶ビールのプルタブを引き起こすと、今までに何度も聴いたことのある音がして、それでようやく現実感がわいてきた。

窓ガラスにうっすら映る自分の顔を横目で見てヘラッと笑った。

七月三日(火)の日記

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ニューアルバムをリリースした宇多田ヒカルさんが自身の音楽について語ったという言葉、とても印象的だ。
『時代や社会に向かって歌ったことはない。つねに部屋でひとりヘッドホンをつけてる誰かに向けて歌っている』
音楽もそうだし漫画も映画もサッカーの試合に至るまであらゆる表現が公の場でなされ、だけど私たちはいつでも個人の心と身体ひとつでそれを受けとめる。

つねづね表明していることだけど私はフィクション、特に漫画と小説が心の底から好きだ。読むのも好きだし、小説に関しては書くのも好き。
白い画面や紙に黒い線で絵や文字を描く、ただそれだけの方法で世界を再構築することは、世界中を飛びまわって秘境を探検することに劣らない、自由で冒険的な試みだと私は思う。

しばらく前に完結した漫画作品『恋は雨上がりのように』を読んだとき、これは人間が描いたものなんだ、人間はこういうものを描くことができるんだ!と衝撃を受けた。
私には昔から気に入った作品は何度も何度も読み返す習慣があるんだけど、この漫画に関してはしばらく読み返すことができないと思う。タイトルの文字列が頭の中に思い浮かんだだけで胸が詰まって泣いてしまうから。もちろんそんなこと初めてだし、尋常じゃない。

誰も死なず、セックスも暴力もなく、優しさと静けさと過去と夢と諦めと汗と太陽の光と雨だけが存在する世界で、ふたりの人間の人生と恋がまるで雨上がりのように不時着する、それだけの話。ただそれだけの話なのにどうして涙が出るんだろう?
その答えはすべて作品の中にある。だけどこうやって野暮な言及をせずにはいられない。

私は足を故障して陸上競技生活を断念した美少女だったことなんて一度もないし、頼りなさげに見えて胸に秘めた情熱を持つファミリーレストランの店長であったこともない。それなのに私は、この物語がまるで自分に読まれるために描かれたものであるように感じる。
かなりあやうい年齢差の男と女の姿形を借りてはいるけど、そういった男女間特有のテンプレートは使用されず、ただただ異なった性質をもつ二人の人間のあいだに漂う絶妙なムードがそこには描かれている。だからあらゆる立場にいる人にとって「これはある意味私のための物語かもしれない」という解釈が可能なんじゃないかと想像する。
それは「普遍性」と呼ばれるもので、どんな設定の奇抜さや物語の意外性よりも激しく人の心を打ちふるわす。

そういう作品に触れると私は、叫びだしたいような、今すぐ走りだしたいような心持ちになる。地面はやわらかく感じられるし身体は軽く空は高く感じられる。
自分もそういうものを書きたいと思う。いつだってひとりの人のためだけに書きたいと思う。