スノードーム

朝の通勤電車のなかで、車両連結部近くに立って吹き抜ける風を感じていると、せいせいするような、胸が詰まるような感覚を覚えることがある。そういうときの私の頭の中では、大昔にそれとよく似た風を頬に受けたときの記憶が自動で再生されている。

車両連結部に吹き抜ける風は、小学五年生の頃に課外授業で現代美術館に行ったときの記憶とつながっている。

 

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美術館の中央広場でクラスの女の子たちとお弁当を食べたあと、なんとなく居心地が悪くてそこを離れて一人でぶらぶらしていた。私は当時クラスに仲のいい子がいなかったので、彼女たちとお菓子を食べながらおしゃべりするよりはひとりでいる方が気楽だった。

 夏で晴れていて、密接してそびえ立っている巨大なオブジェとオブジェの隙間にしゃがみ込むと、ひんやりした影の中から陽の当たる中央広場が見渡せた。みんなが何を言っているのかはわからない。光がたくさんあたってるし楽しそうだなあとは思っても、そこに入って楽しそうにしている自分は想像できない。

そのときひゅーっと吹き抜ける風が耳の外側を撫でたのが心地よくて、なんとなく「このことをずうっと先まで覚えていようかな」と思った。

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そのとき以来、同じタイプの風を感じると一瞬で私はその場所に連れ戻されるようになった。通勤電車の中であろうが、お客さんの会社のビルのエントランスであろうが、私は小学五年生のさみしい子どもに戻る。夏の風のさわやかさだけじゃなく、そのとき感じていた「世界じゅうで自分だけがひとりぼっちなんじゃないか」という心細い気分までもが、一緒くたになって思い出されてしまう。

だけど記憶は小さなスノードームの中に完璧に閉じ込められてしまっているから、その部分だけ忘れてしまうわけにはいかない。

 

私は煙草を吸う。

煙草を吸うと連れ戻される時間と場所にはいくつかのバリエーションがある。そのうちのひとつが大学時代、場所は一番長い時間を過ごしたサークル棟だ。

気の合う友達何人かと屋上に敷物をしいて横になりながら、その日の講義が終わって夕方になって夜になっても、いつまでもダラダラとしゃべり続けていた。

溶けかけのホームランバーをかじったり缶ビールを飲みながら吸った、ふやけた煙草を思い出す。そのときふざけて歌った歌や、生ぬるい風や、友達の不機嫌そうな横顔や、当時好きだった女の子のいたずらそうな目つきや薄着の肩を思い出す。

 私は習慣的喫煙者ではないんだけど、そのときの異様なほどに親密で緻密な曼荼羅みたいな空気、二度とは起こらない時間を何度でも思い出したくて、それで今でも煙草を吸っているのかもしれない。 

 

記憶のキーになるようなアイテムがあり、それがフラッグのような役割を果たして、私はその時間のその場所に戻ることができる。そういった組み合わせが私の中にはいくつかあって、私の心を現実とは違う次元で揺さぶる。

今立っているこの現在だけが現実ではないという感覚は、実際には現在にしか逃げ場のない私の、たかぶった神経をやさしく癒す。

心を揺さぶる記憶はひとつでも多いほうがいいから、大人になってからの私は意図的にそこかしこにキーを仕込むようにしている。もちろんそれは絶妙さを要する作業なので、失敗することのほうが多い。

 

たとえば女の子と楽しくお酒を飲んでいたとする。私は「よし、今日のことを覚えておこう」と心に決めてキーになるようなアイテムを探す。

店の内装や食べたもの、飲んだお酒の銘柄なんかもいいけど、やっぱり本人の身につけている何かに関連づけて覚えておきたい。だけど女の子はいつもあまりにもたくさんの装飾品を身につけているから、キーを決めるのはすごく難しい。

キーはひとつでもいいし、たくさんでもいいことになっているから、いくつも設定しておけばそのぶん成功率は上がるんだけど、それだとその瞬間の輪郭は若干ぼやけてしまう。だから場合によっては思い切ってひとつに絞る。それもなるべく感情と結びついているものがいい。

たとえばその子がその日ペパーミントグリーンのカーディガンを着ていて、それを見てきれいな色だなとかよく似合ってるなと感じたとする。私はその色を心に強く焼き付けて鍵のかたちにする。そうすれば今のこの時間の完全なコピーが私の脳のどこかに閉じ込められて、ペパーミントグリーン色の何かを見るたびにそのときのことを思い出せる、という算段だ。

だいたいの場合その試みは失敗して、そのあとしばらくの間、街でペパーミントグリーンを身につけた女の子とすれ違うたび、その子がいたような気がして振り返ってしまう、という陳腐なシティポップのような結果に終わる。

 

あのときの情景は街の中にすっかり溶け込んでしまい、よく聴き取れないざわめきだけが再生される。つまりはスノードームの生成に失敗したということなんだけど、それはそれでいい。世界に溶け出すってことも記憶のひとつの形だと感じる。