隆之のお見合い

Twitterでもらったお題で短編小説を書こう!という試みを長い間放置していたので、やります。
お題その1「おたくの婚活」

 


【隆之のお見合い】
 
行きつけない喫茶店のボックス席で隆之は落ち着きなく、緑色のペイズリー柄のネクタイの結び目を指先で緩めては締め、また緩めてを繰り返していた。 その手の甲を、隣に座っている母親にぱしっと叩かれる。行き先を失った右手は一瞬ふわふわと宙を舞ったあと眼鏡のフレームに添えられ、パタンと音を立てて膝に落ちた。

母親に勧められた紺縞のネクタイは気に入らなかった。自分の持っている中で一番気に入りのネクタイを締めて来たつもりだ。なぜなら今日は晴れの日なのだから。実家の玄関先で母親は、呆れ顔で何かを言おうとしたが、頭を何度か横に振るとそれきり黙った。

この幾何学ペイズリーはフラクタル構造を持っていてとても美しいし、自分は男ではあるけれどもこういう場には美しいものを身につけて来るのが相手に対する礼儀である、と隆之は考えていた。

朝一番に剃った髭はきっちり8時間ぶん伸びて、午後3時の頬に濃い影を落としていた。母親はそれについてもなにか言いかけたが、それについての彼の答えが

「髭は朝にあたるものだし、午後には伸びてくるのが自然でしょう」

であることは最初からわかりきっていたので口をつぐんだ。彼女の亡くなった夫に、隆之は姿も振る舞いも驚くほど似ていた。


隆之は胸元を見下ろしていた視線を正面に戻した。右を向くと母親の白髪だらけのつむじが目に入る。隆之はとても身長が高かったので、座っていても店内のすべての様子が見渡せた。
職場とは違い喫茶店には様々な人々がいる。スポーツ新聞を4分の1に畳んで読んでいるお爺さん、旧型のノートパソコンのバッテリーパックを、15分以上も着脱している汗だらけのサラリーマン、テーブルを挟んでお互いに身を乗り出しながら熱心に話をする大学生らしきカップル。

カップル。世の中にカップルという単位の2人組がいることを34歳の隆之はもちろん知っていたが、それが自分と地続きの概念だとはとても思えなかった。この今日という日までは。 若いふたりを眺めながら彼は、今までに感じたことの無いほど優しい気持ちになっていた。

「たか」
母親が正面を向いたまま口を開く。
「いらんことさえ言わんかったらいいんやけんね。あんた背ぇも高いし、お給料だってね、悪くないんやし」
隆之がこの見合いの話を二つ返事で受けた時、母親は腰を抜かさんばかりに驚いた。自分で話を持ってきておいて勝手なものだと隆之はあきれ返ったが、無理もない話だった。

今まで恋人はおろか女友達の一人もおらず、勤め先である製薬研究所の女性上司との暑中見舞いと年賀状のやり取りだけが、隆之の唯一のプライベートでの女性との接点だった。そんな話を持ちかけたところで即断られるか、数分単位で無言の抗議を受けるか、そんなところだと予想していた母親は動揺のあまり電話を切ってしまった。
数日後、おずおずとした口調で再度掛かってきた電話でその日時が告げられ、隆之はいつも持ち歩いている深緑色の手帳に4Hの鉛筆でそれを書きつけた。

《5月 17日 土 15時 》

隆之の筆圧はとても強い。


*


誰ひとり知りようのないことだが、清潔ではあっても世捨て人のような外見の奥に隠された隆之の本質は、例えるなら汚れを知らない乙女そのものだった。その心は一面の綿の花畑よりも純粋で、結婚や愛情というものに対するロマンティックな期待で満ちていた。

隆之の心の奥底には大量の手つかずのプレゼントボックスが埃を被って無造作に積み上げられていて、誰かの手で乱暴にあばかれるのを待っていた。
(僕が僕に対して恥ずかしくないような人間でありさえすれば、なるべきときになるようになる)
隆之はそう確信していた。 そういった不気味なほどの慎ましさは、生身の女性に対して “軽薄な気持ち“ を持つことを彼にきびしく抑制させた。

いつか誰かが自分を見つけ出してくれる。そんな日が来たら、そのときは自分も全力で相手を見つける。そして二人はけっして離れはしまい...といった根拠のない、だからこそゆるぎない自信が彼の中にはあった。
いよいよその時がきた、そのことが隆之にはわかった。他の誰にもわからなくても隆之にはわかるのだ。

女性を品定めするようで失礼だからという理由で相手方の写真も隆之は一度も見なかった。相手方はきっと見ただろう、見たうえで会うことを承知してくれたということだけで胸が震えるほど幸福だった。
 
*
 
相手は時間ちょうどに、隆之の母と同じ年ごろの壮年女性に連れられてやって来た。母親の学生時代からの友人だと聞いている。 隆之はすぐに椅子から立ち上がってにっこりと微笑むと右手を高く上げた。母親も慌てて立ち上がり小さく手を振った。

隆之は山本隆之と申します。本日はよろしくお願いいたしますと礼儀正しく頭を下げた。相手は吉田由美子と名乗った。

吉田由美子は隆之より2つ歳上の36歳で、黒に近い焦げ茶色のたっぷりとした柔らかそうな髪の毛が両肩にそっと乗っていた。小柄で色が白く、頬は赤く、毛糸のように細い両目は何を見るともなしに優しく微笑んでいた。クリームパンのようにフカフカした手の人差し指の第二関節には白い絆創膏が貼られていた。 隆之はもちろん一瞬で彼女を気に入った。

お互いの年齢や出身校、隆之の勤め先や相手の勤め先やなにかの当たり障りのない話をしているあいだじゅう、隆之は雄ライオンのように立派に振舞った。こんなに堂々とした隆之を見るのは小学四年生の夏休み自由研究で、県知事賞を貰ったときの表彰式以来だと母親は思った。

まだコーヒーに口をつけていない様子の吉田由美子の視線が自分の側にあったシュガーポットに注がれているのに気付いた隆之は、角砂糖の入ったそれを彼女のほうにやさしく押しやった。吉田由美子はほんのすこし驚いたあと隆之の目を見てにっこりと笑った。

その瞬間隆之は堰を切ったように猛烈に喋りはじめた。 自分が職場のラボで進めている研究テーマ(企業秘密に抵触するトピックに関してはもちろん慎重に回避した)について、吉田由美子の勤務先である中学生向け参考書の編集プロダクションについて自分が持ったポジティブな印象について、戦闘少女が活躍するアニメを見ることがあるが節度をもって楽しんでいるので心配してくれるなということ、植物が大好きで自宅のベランダに小さな温室をしつらえていること。シクラメンは育てるのに少々コツが要るけど慣れれば可愛い花でして僕コンテストに出品したこともあるんですよ、ところでこのコーヒーうまいですねじつは僕今日格好をつけてしまってブラックなんてはじめて飲んだんですけどなかなかうまいです由美子さんは女性だから甘いほうが好きなのかな、ほかに何が好きですか?僕は植物だけでなく動物も好きですふたりの家で猫を飼うことについてはどう思いますか

隆之がふと我に返ると辺りはしんと静まり返っていた。業務連絡以外の話題で母親以外の女性と三単語以上喋るのは久しぶりだったせいか、ボリュームの調整がうまくいかず、店内に響き渡る大音量で隆之はがなり立てていた。 スポーツ新聞を読んでいた爺さんもバッテリーパックのサラリーマンも大学生カップルも、驚いた顔で隆之を見ていた。

「終わった...」そう言わんばかりに顔を伏せる母親の白いつむじが視界の端に映り、申し訳なく思ったが仕方なかった。 ふたりは夫婦になるのだから、一刻も早く彼女に自分のすべてを知ってもらわねばならなかったし自分も彼女のすべてを知らねばならなかった。 彼女に恥をかかせて、嫌われてしまっただろうか?隆之はしょんぼりと肩を落とした。彼女の顔を見ることができない。

そのとき前の席からヒーッヒーッという空気が漏れるような音が聴こえてきて隆之はバッと顔を上げた。 彼女は笑っていた。押し殺した声が溢れ出しそうになるのをこらえるあまり、真っ赤になった顔を片手で隠しながらぶるぶる震えていた。
そしていったん顔を両手で覆うと三度ほど深呼吸をしたあと隆之のネクタイの結び目あたりを見据えながら
「格闘技を見るのが好きです...」
と言った。

隆之はシャツの胸のポケットから深緑色の手帳と4Hの鉛筆を取り出して光の速さでそれを書き付けた。
「速っ!」
そう言って吉田由美子は今度は、あはははと朗らかな声を出して笑った。 それを見た隆之の母親も、吉田由美子の母親も顔を見合わせてくすくす笑った。 格闘技!ユミちゃん意外やわぁ ほんとよ、私もそんなん今の今まで知らんやったわ

隆之は無粋な男だったが基本的に人間が好きであるので、目の前の女性が自分に嫌悪感を持っているかどうかについては昔からかなり正確な判断をくだすことができた。 女性というものは、過失の有無に関わらず男に対して生理的嫌悪感を抱くことがあるということを話に聞いていたため、余計な軋轢を生まないよう可能な限り注意を払っていた。彼女が自分を好きになってくれるかどうかまではわからないが、少なくとも自分に対してネガテイブな感情は向けられていないようだった。隆之は心からほっとした。

しかしこんな風に女の子を笑わせたのは何年ぶりのことだろう、もしかしたらはじめてかもしれない。 今日はなんて素敵な日なんだろう!
隆之の口からはふたたびとめどなく言葉が溢れ出した。彼女に恥をかかせたくなかったのでボリュームを落としながらも情熱的に語りかけ、同じだけの分量の質問を投げかけた。吉田由美子はゆっくりと考えてそれに答えたり、答えなかったりした。

 

吉田由美子の母親が「そろそろ若い人同士で」と口を開くまで隆之はお喋りを止めることができなかった。