七月七日(土)の日記

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つい先週『メッセージ』という映画をレンタルして自宅で観た。ちょうど一年ほど前に劇場公開されたSF映画だ。
この映画の中に、言語相対性仮説という考え方が出てくる。これは『人の思考様式はその人が使う母語により決定、もしくは影響を受ける』という仮説だ。
ある特定の言語を習得していくうちに、その言語が人間の認識を劇的に変えていく、というのがストーリーの骨子だ。
滞在中のホテルの部屋で、ノートパソコンのキーボードを叩いて日本語を打ち込みながら、この映画のことを思い出していた。


秋田に来て今日で四日目、その間同じホテルの同じ部屋に連泊している。
二日目の朝、出掛けるための身支度を終えようとしているとき、一瞬思考が停止した。ベッドサイドテーブルの上に、腕時計と眼鏡と指輪とiPodとハンカチが、端をきっちり揃えて整然と並べられている。

もちろん前日の夜の私がそうしたんだけど、まさか自分がしたことだとは、しばらくの間信じられなかった。
東京の自宅では、それらのアイテムは帰宅と同時に玄関の靴箱の上にゴチャッとまとめて置かれ、そのまま翌朝まで放置されているのが日常の風景だ。

すっかり忘れていたけど、それは昔私がホテル暮らしをしていた頃についた習慣だった。
当時からもう四年以上の月日が経っているのに私という人間は今でも、当時のホテルでの暮らしに最適化されてしまっているみたいだ。


仕事の行きがかり上、二十代の半ばから終わりにかけての期間のほとんどを私は、会社指定のホテルで暮らした。
お湯が沸かせる程度の簡素なキッチンがついたシングルベッドルームに持ち込めるものはごくわずかだ。クローゼットに収まる範囲の服と靴、グルーミング用品。化粧品にノートパソコンに本が数冊。
向かいの部屋からは同じく長期滞在の、国籍不明の宿泊客がガムランかなにかを奏でる音が聴こえていた。

もちろん最初のうちはそんな生活が嫌で嫌でたまらなかった。
当時の私は、自分の気に入っている服や靴や本や雑貨を身のまわりに置いておくのがとても好きだったから、毎日ひどく気がふさいでいた。

だけど一年ほどそうやって暮らしているうちに少しずつその状態に慣れていった。
むしろたまの連休に自宅に戻ると、気楽さと同時に言いようのない居心地の悪さを感じた。物が多くて気持ち悪い、そう思った。

気に入ったものをほんの少しだけ持っていられればそれでいい。私はそう考えるようになっていた。そのこと自体はひとつの真っ当な考え方だから別に問題じゃない。
問題は、当時の私が無意識にせよきっとこういうふうに考えていたってことだ。
『ホテルに身体を合わせて、仕事に人生を合わせて、コンパクトに暮らすのが平穏だ』
それはたぶんすごく哀しいことだった。


さきほど何気なく「最適化」という言葉を使った。だけどそれの対義語ってそういえば知らないなと思い、今しがた調べてみた。検索結果を何件か覗いているうちに「イノベーション」という言葉にかち当たった。
限られた選択肢の中から最適なものを選ぶのではなく、選択肢それ自体を創造すること。
なんとなく自分の中で点と点が繋がった気がした。

 

ホテルにいると心が深く落ち着く。いつまでもここに居続けたくなってしまう。
限られた持ち物を整然と並べて、この狭くて親密な空間を保つことだけに心を使いたくなる。
だけど私にとってホテル暮らしというのは、たぶん昔の恋人みたいなものだ。深くわかり合っていて、すごく優しくて、でも今の恋人じゃない。今の恋人じゃないから優しいんだと思う。


二、三日のうちに東京に帰ろうと思う。