七月九日(月)の日記

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‪誤解をおそれずに言うと、自分の書いた文章を不特定多数の人に読んでもらっているときの私は、読んでくれている人に対して匿名性ではあるけれどもかぎりなく愛情に近いものを感じているように思います。‬


‪しばらく前にTwitterで『コンプレックスや負の感情だけがクリエイションの原動力になり得る』‬みたいな話題がちょっとだけ盛り上がっていたときがあって、私はそれに対してかなり違和感があった。
‪だけどその違和感の芯にあるものについてうまく言い表せなくって、ずっとそのことが頭の隅にありました。‬


私にはコンプレックスや負の感情がないかっていうと、もちろん人並み以上にある。めちゃくちゃあります。
だけどそれらを抱えているということと、それを燃料にして走るということの間には大きな隔たりがある。
愛してるって口に出して言うことと、実際に愛していることが全然違うのと同じです。
コンプレックスで書いたものを人に読ませるのは——ものすごくキツい言い方をしますが——愛してもいないのに愛しているって言うことだって、私は思います。

もちろん愛してないのに愛してるって言ってしまうことは人間にとってごくありふれたことです。罪のないことで、私自身そうした経験もされた経験もある。だからそういう関係の中にも胸を締め付けるような切実さや優しさや親密さが多分に含まれていることを知っているし、その全部が嘘だなんて、口が裂けても言えないです。
書き物もそれと同じで、コンプレックスや恨みを原動力にした素晴らしい作品はきっと世の中にたくさんあると思います。

だけど私は愛することがしたい。人間を直接愛することはすごく難しいし今生ではおそらく無理だと思うけど、文章を通してならひょっとすると、できるんじゃないかって気がするんです。


‪このブログを読んでくれている人は、人生の貴重な時間を使って、私の書いた日記や小説を読んでくれているわけです。デジタルな楽しみの多い時代に、わざわざテキストを読みにアクセスしてくれている。‬
‪何でもできる、恋人と会うことだってできる余暇に、時間と気持ちを使って私の書いた文章を読んでくれている。‬
‪私はそのことにめちゃくちゃ感謝しているんです。私を信じてくれてありがとうって思ってる。‬

‪だから私は自分のために書いてないです。コンプレックスを解消したり恨みをぶつけるために小説を書いたことは一度もないです。‬
‪小説以外に関しては何度も何度もある。そしてそのことはものすごく自分にとって、傷になっている。二度とそんなことをしたくないと思う。‬


私はスマートな人間でも良い人間でもない。今のところ手に取れる実績もない。だけどこれから先きっと、もっともっと良いものを書くし、あなたたちの信頼に応えるために最大限の努力をするつもりです。